高岡古城公園景観再生プロジェクト2025実施中
【 高岡古城公園 景観再生プロジェクト2025 寄附募集中! 】
今年度も高岡古城公園景観再生プロジェクトを実施します!!
令和7年8月1日~令和8年1月5日まで
昨年度までの皆様のご寄附のおかげで、本丸土橋がきれいに見えるようになりました。
今度は、公園の外の道から本丸まで見渡せるよう樹木の剪定や伐採を頑張りたいと思います。
また、今年は高岡古城公園が公園指定150年を迎えます。
皆様、ぜひ高岡古城公園にお越しください。
150年記念特設ページはこちらから
【お知らせ】
2025年10月1日(水曜日)から10月5日(日曜日)まで、システム移行に伴い、ガバメントクラ ウドファンディング「高岡古城公園 景観再生プロジェクト2025」の寄附の受付を停止いたします。
寄附者の皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
10月6日(月曜日)より再開いたします!!
寄附の申込はバーナーをクリック
現況と実現したいイメージ
明丸土橋整備前

明丸土橋 令和7年7月撮影

上空から(令和5年撮影)
明丸土橋整備後イメージ
令和7年度ご寄附をいただいた方をご紹介
景観再生プロジェクトで取り組んだ箇所
(内堀の本丸土橋周辺)
市民のみなさまへ

5,000円以上寄附をいただいた市民の方には、「御城印型お礼状」を進呈します。
また、希望される方には伐採した樹木を優先配布いたします。
※高岡市に住民票のある方は、ふるさと納税の返礼品の進呈はございません。
高岡市内に本社を有する企業・団体様
損金算入により、寄付額の約3割の軽減効果があります。
寄附申出書の様式はこちら
寄附申出書をご提出していただいた後、納付書を送付させていただきます。
市外在住のみなさまへ
市外在住の方で、プロジェクトに賛同し、寄附をしてくださる方は、高岡市からの返礼品がありますので、確認いただきますようお願いします。
高岡市長 出町 譲から皆様へ
※動画が流れます。音量にご注意ください。
プロジェクト概要

高岡古城公園は中心市街地に広大な面積を有し、四季折々の美しい自然が楽しめる都市公園であると共に、高岡城築城当時の遺構を残す国指定史跡であり、長く市民に愛され続けてきた高岡のシンボルです。
しかし、公園指定後に植樹された樹木や自生した雑木が生い茂り、緑豊かな公園となっている一方で、樹木の密生により、植生の生育不良、眺望や景観の魅力が十分に伝わらない状況となっており、さらに史跡の本質的価値である堀や郭、土塁、石垣の保存への影響が課題となっています。
このため、本市では「高岡古城公園樹木管理行動計画」を策定し、計画に基づき令和5年度から高岡古城公園の景観再生事業をスタートさせました。
ただ、高岡古城公園は広大(約21ha)であり、事業完了には長い年月がかかります。
そこで私たちは、市内外の皆さまからご寄附を募り、少しでも早く古城公園の生い茂った樹木の伐採を進め、郭や堀、土塁、土橋などが見える、城跡の風格が感じられる公園を目指すプロジェクトに取り組んでいます。
皆さまのご支援、ご協力を よろしくお願いします。
進捗状況

景観再生プロジェクト2023・2024の皆さまのご支援により、内堀の本丸土橋周辺の樹木整理が完了し、土橋の石垣や作業したエリアの堀、郭の形状がよく見えるようになりました。
【本丸土橋を望む】

令和7年6月
1【 博物館側から本丸土橋を望む 】
2【 三の丸から本丸(朝陽橋)を望む 】
重機が入れる個所はほとんどなく、支障物も多いため作業は人力で行っています。






高岡古城公園とは…?
前田利長が築いた高岡城~大戦を想定した最強の城~
慶長14年(1609)、4年前に隠居していた加賀藩前田家二代当主の前田利長公は、当時関野と呼ばれていた原野に高岡城を築城しました。
この高岡城跡が現在の「高岡古城公園」になります。
利長は、武士とその家来を連れて高岡城に入城し、城下町には武家屋敷、町人地、社寺地などを配置し、町の繁栄を図りました。これが現在の高岡市中心部の起源です。

高岡城は利長の隠居城として築城されましたが、実は実戦も想定した最強の城といわれています。
時代は、豊臣から徳川へ世の中が変わる変革期。また戦になるかもしれないと全国的にも築城ブームの中、利長は難攻不落の城を築きました。
高岡城最強説の理由は【馬出】にあります。(馬出:防御と反撃の両方の機能を兼ね備えた陣地のこと)
本丸を中心に、二の丸、鍛冶丸、明丸、三の丸、本丸東、小竹薮の馬出を土橋でつなげた「連続馬出」が高岡城の守りの堅さを象徴しています。
「高岡城跡は天守が無いからお城らしくないな…」と思っている方も多いかもしれませんが、
お城の真の価値は、地形を活かした郭(区画)や堀などによって、いかに攻めにくく守りやすい縄張り(設計)となっているかにあります。
高岡城ほど論理的に馬出を使いこなし、純粋に城全体の縄張りに昇華させた城は、全国でも唯一といえます。
つまり、高岡城は最高水準の縄張りで築かれた日本を代表する城です。
熱い想いで奇跡的に守られた城跡
最強と言われた高岡城ですが、幾度も危機に直面します。
入城から5年後の慶長19年(1614)に利長が死去。
翌同年20年(1615)徳川幕府の一国一城令により、わずか6年で廃城となります。
武士は金沢に、町人も高岡を離れ、町は急速にさびれてしまいました。
こうした中、家督を継いだ加賀前田家三代当主前田利常は、城下町から町人たちの転出を禁止し、塩や魚の問屋を造らせ、城跡には米蔵や塩蔵を置くなどして、高岡を城下町から商工業の町へと転換しました。
利常は、高岡城跡の土塁や堀などをそのまま保有し、いざという時の防御の拠点として守ったと考えられています。
利常の優れた手腕により、高岡に物資を集め、まちは「加賀藩の台所」と言われるほどの経済都市へと発展しました。
そして、再び危機に直面します。
明治3年(1870)に金沢藩は城跡の民間払い下げを決定。
こうした中で、当時の第十七大区長(市長に相当)服部嘉十郎ら有志が嘆願書を提出し、明治8年(1875)に「高岡公園」に指定され、城郭は消失の危機を逃れました。
さらに、高岡城跡(高岡古城公園)は、戦災を逃れ、高度経済成長期にも開発されず、幾度の危機を乗り越え、いまも、往時の姿を多くとどめました。
この結果、他の城のように堀が埋められることなく、築城時の姿が残され、当時最高水準の縄張りを体感できる公園となっています。

城跡としての価値と魅力を高めたい!
高岡古城公園の現状
市民に長く愛され続けてきた高岡のシンボルですが、公園指定後に植樹された樹木や自生した雑木が生い茂り、緑豊かな公園となっている一方で、樹木の密生により、植生の生育不良、眺望や景観の魅力が十分に伝わらない状況となっており、さらに史跡の本質的価値である堀や郭、土塁、石垣の保存への影響が課題となっています。

高岡古城公園樹木管理行動計画の策定
このような状況を踏まえ、高岡市では「城跡の風格漂う、みどりの安らぎと潤いある高岡古城公園」 を将来像として掲げ、令和5年3月に「高岡古城公園樹木管理行動計画」を策定しました。
本計画では都市公園としての緑の機能を保全し、自然的環境に配慮しつつ、現在、樹木で覆われてしまった高岡城跡の最大の魅力である縄張(郭、堀、土塁、土橋など)の姿を再び出現させ、訪れた人達が在りし日の高岡城の面影やその風格を感じることができる空間づくりに取り組むものとしております。
計画に基づき令和5年度から景観再生プロジェクトを開始しました。
詳しくは高岡古城公園樹木管理行動計画をご覧ください。
更新日:2025年07月25日