<平成29年度>第32回ふれあいトーク「移住・定住の促進に向けた高岡の魅力の再発見と発信」

更新日:2024年03月25日

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平成29年10月3日(火曜日)in金屋町公民館
今回の「市長と語ろう!ふれあいトーク」は、市外から移住してきた方々と市外在住で市内に勤務する方々と市長が「移住・定住の促進に向けた高岡の魅力の再発見と発信」をテーマに意見交換をしました。

市外から移住してきた方々と市外在住で市内に勤務する方々と市長の17人が笑顔で写っている写真

【参加者】
市外から移住してきた方々と市外在住で市内に勤務する方々(16人)

高岡に居住・通勤してみて感じる高岡の魅力は

青沼)国吉地区佐加野で酪農経営をして3年になる。自分が譲り受けた農場は80歳の女性が一人でやっていたところだった。地域住民の方は80歳の人が一人で農場をやっていくことを心配はするが、どうしたらいいかわからない状況だったと思う。畜産は「におい、汚い」という印象で地域から嫌われる職業だが、地域の人は「家に余ってる工具使ってよ」と持ってきてくれたり、「困ってることがあったら何でも言ってくれ」と言ってくれたり、優しく受け入れてくれた。しかし、中には声をかけてくれない人もいる。だが、そういった人は移住してきた人がいないからどう接したらいいかわからないのではないかと思った。

中川)市が募集していた緑のふるさと協力隊に参加したのがきっかけで6年前に移住してきた。今は空き家を借りながら営農組合で毎日田んぼ作業をしている。田んぼの仕事をしているので年配の方とは割と早く交流が持てたが、若い方とはなかなか交流を持てなかった。変わったのは、獅子舞がきっかけだった。最初は訳も分からず参加したが、実際に入ってみると下は小学生から上は40代までの幅広い年代でやっていて、そこで一緒に練習し酒を飲んだりすることで打ち解けることができた。

市長)そういった溶け込んだきっかけはありますか?

大島)数日前に住民運動会があって参加した。移住して1か月足らずなので、そこで初めてお会いする方が多かったが、昔から知っているかのように気さくに話しかけてくれた。運動や行事は距離を縮めやすいというのもあるけれど、みんなで一喜一憂しながら午前中だけの数時間だったが、さっそくいい思い出ができて移住してよかった。こちらの言葉で「旅の人」というんですか。皆さん口をそろえて「旅の人はね~」とおっしゃるけれど、実際のところ家を探すだとか、そういった相談にも乗っていただいた。いま、クラフトビール工房のオープンに向けて職人さんとお付き合いする機会が多くあって、そういった方たちもとても近い距離で話をしていただいて、とてもフレンドリーだと思った。

市長)高岡の魅力の一つは「ひと」かと思うが、ご苦労もあるのではないでしょうか?私は何十年か振りに戻ってきたが私のことを「旅の人」という人もいる。大野さんはいかがですか?

1人の女性がマイクを持ち立って話しているのを、参加者が聞いている様子を写した写真

大野)180年近く続く和菓子屋に生まれた事もあって、狭い町でもあるので「あ、大野屋さんの」と言われることが嫌だったこともあった。子ども心には新しいものに興味があり、デザインの仕事をするため高岡を出て東京で勤めていた。新しいものを目指してデザイン業界に入ったが、各地方で作られるいろいろな布の産地を見る機会に出会い、古い地方の文化の面白さに気づかせてもらった。そして、ふと振り返った時に家業の和菓子という文化にもとても価値のあるものが多いなと気づいて、それを守りたいと思い戻ってきた。外から戻ってくると金屋町も山町筋もたくさん魅力的なものがあるとこの年になって改めて感じている。ちょうど戻ってくる頃に、山町のはんぶんこさんが出来たり、和香さんが出来たり、いま大島さんもブリュワリー(ビール工房)をされるということで、若い世代が活躍されているという意味で人の魅力がすごく見えてきた。それが、戻ってくる励みにもなった所もある。

市長)今までのご発言は、高岡に住んでいる方々からであったが、次は高岡に通勤しておられて地元と高岡と両方を見ている方はいかがですか?

大江)高岡市内の高校卒業後、進学のため東京に出てそれっきり県外に住んでいたが、家の都合で15年前に射水市に戻ってきた。高岡の人は本来フレンドリーで親切でいい人だが、そこまでに行くまでに「薄い膜」がある。こちらから打ち破っていくと、その人の魅力を感じることができるが、一時的に高岡に来た人は内気だったりすると壁があると感じるのではないかと思う。

市長)保育士さんも何人かいらっしゃるが、子供たちと触れ合う中で、また保護者の方との付き合いの中で感じることはありますか?

瀬川)小矢部で生まれ育って高岡市内の保育園で通算27年間保育士をしている。勤めている保育園の運動場は狭いので運動会のときは隣の広場を借りている。いつも草むしりをするが、朝8時30分から100名くらいの地域住民の方が園児のために参加してくださるので、大変感謝している。とてもすてきな地域だと思う。

市長)開放的だという意見も閉鎖的だという意見も頂いたが、両方の面があるのではないかと思う。これから、オリンピックに向けて外国人の方が増えてくると思うが、「お手伝いしましょうか」という一声を掛けることを皆でやっていくと「薄い膜」が早く開かれていくのかなと思う。一方で、獅子舞や運動会の話が出たが「この人はちゃんと私たちと付き合ってくれるな」と分かった瞬間に一生の友達のようになる。「受け入れたい」というメッセージを出していくことが大事かなと思った。

高岡の魅力をどのように市外へ発信していくべきか

東海)高岡には5年前に山町筋に「はんぶんこ」という店を開店し、伝統工芸の販売や鋳物・漆器体験等をしている。年間千人弱の方がこられて、うち7~800人が県外の方でお話をするが、皆さん正直言って高岡の事を知らない。瑞龍寺と大仏は何となくわかるが、それ以外はわからない方が多い。どうやったら広く伝わるかと言われると、いろいろなパブリシティやマスコミ媒体があると思うが、一つのテーマに絞って発信していった方がいいと思う。

市長)そこは是非伺いたいところだが、ほかの方は?

綿)東日本大震災を経験して帰宅困難に陥ったことだったり、計画停電にあったりだとか経験したくないことを経験してUターンを決めた。戻ってくるからには今まで経験したことを高岡の魅力と共に発信したくて、高岡の魅力を世界に発信する仕事をしている。会社としてもいろいろな方を高岡に呼ぶという活動を積極的にしている。9月末にも雑誌の編集をされていた方を、こちらからコンタクトを取ってクラフト市場へ来ていただいた。影響力のある方に高岡に来てもらってものづくりをしているまちとPRをするが、最近思うのは歴史と製品だけでは他との差別化が難しい。「もの」プラスそれを作っている方に会いに来たいと思ってもらえるように発信していくことが大事ではないか。

福原)6年前に高岡に移住してきた。発信する手段は難しいと思うが、出来れば他の自治体がやっていないことをしてほしい。例えば、萌えキャラに走るだとかおもしろ動画をつくるとか、他の自治体がやって当たっていることはやってほしくない。東京に10年以上に住んでいたが、私から見てかっこいいことをやっている方がたくさんおられるので、かっこいい人たちを巻き込んで何か発信していくことができるのではないか。

1人の男性がマイクを手に話しているところを参加者が聞いている様子を写した写真

早川)金屋町で茶寮和香を経営している。高校まで高岡で暮らしていて、古いのがすごい嫌で出ていった記憶がある。ずっと県外や富山市で料理を勉強して高岡には2年前に帰ってきた。僕は食としてしか発信できないが、未来あるまちを創るにあたって、「美食」が残るまちが生き残れると思う。ガストロノミーという言葉があるが、地場でとれたものでちゃんとした技術があって、高岡でしかできないことをやりたい。高岡の歴史があって文化があってその一角に高岡の食材で僕が研究してきたことを出せられたらと思い和香をオープンした。最近、東京の有名なシェフが来るようになった。僕は必ず高岡の評価を聞くが、食材であったり器であったりの評価が高い。普通にまちに食材や器の作り手がいるのが高岡である事を皆さんにわかっていただいた上で、どう発信していくかを考えていくべき。東京にいても富山にいてもおいしいお料理があるとお客様は必ず来るという時代である。雑誌でも「レストランは地方の時代へ」と掲載されているし、県外の修業時代の仲間と話をしていると、お客を地方に持っていかれているというのが現状である。世の中は地方に魅力を感じているのは確かなので、何をすべきか、そこまではわからないが食というのは大事だと思う。

市長)食材の話が出てきましたが、田舎暮らしをしている神庭さんはどうですか?

神庭)移住のきっかけは緑のふるさと協力隊という1年間田舎暮らしを体験しようというプログラムだった。とても居心地が良かったので残って今年で5年目。高岡にはそれだけ素晴らしい方々が住んでいるということを、住んでいる人達自身が知らないんだなと思った。

市長)例えば、食材の彩と器の彩とそれをどういう風に並べて見せるかというのも立派なアートだと思うが、まさに絵を描いておられる高橋さんはそういう切り口でいかがですか?

高橋)美術館で学芸員の仕事をしながら大学から続けている絵画の制作をしている。もともと制作場所として広い家を探していたころ、そういった所を借りれると聞いて金屋町に住ませていただいている。今、若いデザイナーが関わっていることも多くて、お土産もかわいいものが多くなってきて魅力的だと思う。魅力的なものが点在しているので、それをまとめる力がいるのではないか。元々文化の深い土壌なので、より入っていったときに薄っぺらいものでないと事がわかってもらえると思うので、何かひとつポンっと言ってわかるものがまとまれば、皆さん協力もしやすいしいろいろなことができるのではないか。

市長)その点はいつも課題だなと思う。高岡はたくさん魅力があると思うが、何かひとつとよく言われる。高岡が全体として熱くなれるというものはこれから作っていかないといけないのかなと思っている。それを集約する力を見つけていきたい。高岡の魅力の一つに雨晴が挙げれらると思うが、松尾さんは雨晴にお住まいですよね。

松尾)出身は小矢部市で趣味のスキューバーダイビングをやりたくて、パラオ共和国に移住していたこともあった。現在、高岡市内のボート販売や修理などをする会社に勤めている。いろいろ住宅を探していて最終的に雨晴の近くに見つけることができた。富山湾は世界で最も美しい湾クラブに加盟できるような本当に素晴らしい海で、特に呉西地区は素晴らしい。能登半島のお蔭で新湊から氷見にかけては西の風が吹いたらなぎになり、冬でもプレジャーボートを出して釣りができる。冬に富山湾で獲れた魚は本当においしい。富山湾を釣りの聖地、フィッシングパラダイスというようなキャッチフレーズをつけて世界的に発信していけたらと思う。

市長)最大の絶景スポットは伏木から太田へ行く雨晴の方だと思う。今、”とおくをおもう”というテーマで道の駅の工事をしている。来春オープン予定なので皆さんも行ってください。ところで、今回は保育士さんの方も来てもらっているので、子ども達との関係で高岡の魅力はありますか?

荒木)住まいは砺波市で今は高岡市内の保育園で保育士をしている。高岡市には路面電車でドラえもん電車もあったり、子ども達からはおとぎの森へ遊びに行ったという声を聞く。そういった所から、広がっていけばいいなと思う。最近では、高岡市を舞台にした映画があったり、そういうのもあるので、たくさんの人に目にしてもらえたら高岡の良さが発信していけるのではないか。

笹本)小矢部市出身で高岡の保育専門学院を卒業後、高岡市内の保育園に就職し現在も務めている。受け持っている子ども達と古城公園の動物園に行った時に、ドラえもん電車や動物たちに目を輝かせて大喜びしていた。子ども達の保育で地域に関わることもあるので、自分のまちが大好き、高岡が大好きと、小さい時からイベントや行事があったら大きくなってもこの町にいたいと思える原点になるのではないか。

長尾)砺波市出身で短期大学卒業まで富山に住んでいたが、少しだけ埼玉県で保育士をして4年前から高岡市で保育士をしている。普通の動物園だと有料だが、高岡の動物園は無料である。地域のお子さんも来ていて、子ども達が楽しめる場所がたくさんあるということをもっと発信していけばどうか。私は砺波市民だが戸出に近いので、私自身小さい頃に砺波ではなく戸出の児童センターや図書館に行くことがあった。市外から来ている私を、温かく受け入れてくださったと母は子育てしやすい所だと言っていた。また、保育士をしていて思うのは、自分の生まれ育ったまちで子育てをしている人が多いということ。過ごしやすくて子育てもしやすい地域なのかなと思う。子育てしやすいまちだともっと発信していけばいいと思う。

市長)これからの高岡が魅力的かどうかの一つのバロメーターは、子ども達がいい子に育ってくれるかだと思う。子ども達が安心して遊べる所をもっと用意することは行政として必要な事だと思う。私は、特別なものがなくても広場があれば子ども達は遊んでくれるかなと思う。
 それぞれの立場の方々から見て「いい」と堂々と言ってもらえるまちになっていきたい。地域の力は人だと思う。それも、特別にヒーローがいてカリスマがいてということではなくて、みんなが地域を愛してみんなが頑張ってという姿が好きだ。みなさんがそれぞれの立場で、挑戦、クリエイティブな事を試みていくことが素晴らしいまちを創っていくのではないか。そういった人の力を大事にしていきたいと思った。

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