建造物

更新日:2024年03月25日

ページID: 7756

5-1 「高岡米穀取引所」

1885年当時の高岡米穀取引所の建物外観をおさめた古写真

1885年(明治18年)。
富山県の独立を機会に、1885年通町に高岡米会所が創立された。そののち高岡米穀取引所と改め御馬出町角に移転した。新築された洋館2階建てのこの建物は「六角堂」と呼ばれ、高岡の名物として市民に長く親しまれた。

5-2 「高岡市役所」

往時の高岡市役所庁舎の外観を正面右側からおさめた古写真

1913年(大正2年)~1945年(昭和20年)頃西欧風ゴシック様式の市庁舎が片原横町(育英校跡地、現北陸銀行高岡支店敷地)に建設される。

5-3 「高岡市役所」

往時の高岡市役所庁舎とその正面の門前を行き交う人々の古写真

高岡市役所正面の投票所。

5-5 「射水郡役所」

往時の射水郡役所の風景をおさめた古写真

明治~大正。
高岡公園の鍛冶丸跡に1880年(明治13年)10月設置され、1921年(大正10年)の郡廃止まで存続した。その後、県土木出張所や県税務所などに転用され、1951年(昭和26年)の高岡産業博覧会の折に、高岡市美術館に建て替えられた。(現市立博物館)

5-6 「高岡市図書館」(桜馬場当時)

桜馬場時代当時の高岡市図書館の建物外観をおさめた古写真

1910年(明治43年)、呉西初の高岡図書館として桜馬場の高岡商品陳列所の一棟に開設され、1925年(大正14年)に裁判所跡地の二の丸に移転。1951年(昭和26年)改築され、1963年の雪害の後、2年後に新築完成。2004年(平成16年)4月、末広町の現在地に新築移転。

5-18 「高岡商工会議所」

往時の高岡商工会議所の建物外観をおさめた古写真

1896年(明治29年)以降。

1896年、会員30名によって源平板屋町に高岡商工会議所が創立された。1903年、利屋町に移ったが、北陸一の商業地にふさわしいモダンな建物で、高岡商人のシンボルといわれた。

5-23 「伏木に初めて鉄道開通」

河川上に架かった鉄橋の上で停車する汽車をおさめた古写真

1900年(明治33年)。
中越鉄道の高岡-伏木間の開通式は1900年12月29日に伏木駅で挙行。この写真はその帰りで米島辺りで汽車を停車させ記念撮影されたもの。

5-24 「伏木灯台」

1877年当時の伏木灯台の外観をおさめた古写真

1877年(明治10年)。
府域の藤井能三が建設した北陸初の様式燈明台。

5-25 「伏木測候所」

1909年当時の伏木測候所の建物外観をおさめた古写真

明治末頃。
富山県伏木測候所(現・高岡市伏木気象資料館)。1883年(明治16年)、藤井能三が、わが国最初といわれる市立測候所をつくり気象観測をした。1909年(明治42年)に現在の伏木中央町から伏木古国府に移転建築した。屋根には望楼(2017年に復元)が見える。

5-30 「常備消防のはじまり」

1917年当時の警察庁舎と、その前に横一列で並ぶ防火宣伝隊をおさめた古写真

1917年(大正6年)。
災害から市民を守るため、近代装備された庁署と防火宣伝隊。1917年、高岡警察署校内に蒸気ポンプ置場を増築して常備所を設け、小頭と消防手各一名を常勤したのにはじまる。1922年(大正11年)には、片原横町警察署の隣に独立の常備消防署を新築した。原題は「片原横町にあったもの」。

5-35 「清水町水源地」(昭和6年)

1931年当時の清水町配水搭の外観をおさめた古写真

1931年(昭和6年)。
高岡は豊富な地下水に恵まれているが、中心市街地の水質には問題が多かったため、健康上、また市勢の発展上、給水問題は重要な政治課題となった。1928年(昭和3年)、全国の都市に先駆け、上水道敷設工事に着工し、3年後に完成した。

5-47 「北陸随一のモダンな育英小学校」

1888年当時の育英小学校校舎の外観をおさめた古写真

高岡町が1875年(明治8年)に小学校校舎新築を決め、翌年9月に片原町地内に洋風校舎建築として竣工。5校を統合して、育英小学校と称した。明治17年の校内からの出火により、1888年(明治21年)に白亜洋館二階建てで再建。育英の名は1895年まで存続した。

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 中央図書館
〒933-0023 富山県高岡市末広町1-7
電話番号:0766-20-1818
ファックス:0766-20-1819

メールフォームによるお問い合わせ