越中福岡の菅笠製作技術
平成21年3月11日、菅草の栽培から笠骨作り、笠縫いから仕上げを経て出荷するまでの一貫した生産技術体系を保持しているとして、「越中福岡の菅笠製作技術」が国の重要無形民俗文化財に指定されました。
文化財の概要
(1)名称
越中福岡(えっちゅうふくおか)の菅笠製作技術(すげがさせいさくぎじゅつ)
(2)所在地
富山県高岡市福岡町
(3)保護団体
越中福岡の菅笠製作技術保存会
(4)特色
本件は、農作業や外出などに利用されてきた菅笠を製作する技術である。ひご状に加工したタケを円錐状に巧みに組み立てる笠骨作りと、菅笠用に栽培したスゲを笠骨に丁寧に縫いつけていく笠縫いを、男女の分業により効率よく行う点に特色がみられる。この菅笠製作に際立った文化財的価値が認められるのは、菅草の栽培から笠骨作り、笠縫いから仕上げを経て出荷するまでの全工程が、当地で集約的に行われている点である。これらは基本的に手作業で行なわれており、伝統的な菅笠製作技術をよく伝えている。400年以上の年月を経た民俗技術が、当初の生産・製作形態を保ちながら今日に継承されており、我が国の笠の製作技術、特に縫い笠の製作技術を考える上で重要である。
(5)概要
高岡市福岡町における菅笠生産は、伝承によれば室町時代の嘉吉年間までさかのぼるが、本格化するのは江戸時代になってからである。江戸時代中~後期になると、独立した笠問屋が福岡で多くみられるようになり、藩の産物会所が福岡町に設置されたことで砺波郡域の菅笠集散地として機能することになった。
こうした藩を挙げての産業奨励を受けた菅笠は、幕末を迎える頃には最盛期を迎え、元治元年(1864)には、210万蓋(かい)(=枚)の菅笠出荷記録も確認できる。また、当地で製作された菅笠は、「加賀笠」の名で広く知られ、本州日本海側に点々とみられた菅笠の製作地にも影響を与えたといわれる。近代以降も昭和30年代までは、100万蓋を上回る出荷数を記録しており、福岡町は菅笠の一大生産地であった。
出荷数は現在では減少しているが、良質の菅草を活かした製作技術レベルは笠の生産種類の多さにも反映されており、全国一の高品質な菅笠を出荷し続けている。
更新日:2024年03月25日