Vol.51 開町417年、利長公の心を継ぐ

更新日:2026年09月10日

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慶長14年(1609年)9月13日、前田利長公が高岡城に入城しました。今年で417年になります。高岡市では、この開町の日に合わせて前田利長公顕彰祭を開いていますが、今年から新たに「高岡城わくわくフェスティバル!」開催しました。前田利長が好んだと言われている鷹狩りにちなみ、タカを放って獲物を捕らえる「放鷹術(ほうようじゅつ)」の実演と体験が行われ、私も体験してきました。

私が開町の日を大切にしたいのには、理由があります。かつて、ニューヨークに駐在していたことがあります。アメリカでは独立記念日を盛大に祝っていました。街中が国旗で彩られ、人々が誇りを持って自国の歴史を語る姿を見ました。フランスでも、7月14日は特別な日です。革命記念日として、国を挙げてお祝いします。歴史を踏まえたまちづくりは、こうした国々に共通する姿勢です。高岡もまた、開町という原点を大切にしたい。そう考えています。

9月13日は、加賀前田家十九代当主・前田利宜さんを招いてパネルディスカッションを開催しました。パネルディスカッションでは、いろいろな質問が出ましたが、前田さんは、休日の過ごし方などについて非常に気さくに答えられました。

ところで、前田利長公は、徳川家康公が最も警戒した大名の一人でした。徳川の政権は、まだ盤石ではありませんでした。その時代に、利長公は高岡城を築きました。利長公は、豊臣政権で五大老を務めており、豊臣家とも縁の深い立場にありました。これは徳川方にとって、大きな脅威だったはずです。いざとなれば、利長公が豊臣秀頼公の側につく可能性もありました。そうなれば、徳川に対する謀反です。

しかし、利長公はそうした道を選びませんでした。時のトップリーダーとして、面子や権力争いにはこだわりませんでした。庶民の安寧を優先したことは間違いありません。

こうした利長公の思いを、今を生きる私たちは受け継いでいく必要があります。私自身、高岡市長に就任してから、このまちの歴史と向き合う機会が増えました。市長という職には、思っている以上に大きな権限が伴います。だからこそ、その権限をどう使うかが問われるのだと感じています。利長公は、自らの意地や面子より、市民の暮らしと平和を選びました。私も同じでありたいと思います。

私は高岡市長として、利長公が貫かれた「庶民の安寧を第一に」という思いを、これからの市政にもしっかりと引き継いでまいります。