Vol.30 アメリカの桜、高峰博士が尽力


今年、私は桜を満喫しました。高岡古城公園、千保川沿い、福岡町の岸渡川沿いや高岡市衛生公社の桜など、いくつもの名所をめぐりました。桜の季節はやはり最高。新たな旅立ちの時期でもあり、ウキウキした気分になります。ニューヨークに住んでいたころ、桜の木が多いのに、驚きましたが、尽力したのは、高岡生まれの化学者、高峰譲吉博士です。
ふと思い出したのは、時事通信のニューヨーク特派員時代です。私は1998年から2001年までかの地で生活していました。春になると、ハドソン川の河畔に桜が咲き誇っていました。幼稚園に通う2人の息子を連れて家族4人で、よく散歩しました。
セントラルパーク、さらに私が住んでいたルーズベルトアイランドにも桜はありました。春の日常風景なのです。
また、ワシントンに出張や旅行で行くと、ポトマック河畔の桜並木に目を奪われました。日本で楽しんだ桜の風景がアメリカにもあり、妻と喜んでいました。
日本を離れて生活する寂しさは、この桜の木で癒されたのです。私は30代後半。仕事に私生活に最も充実した日々を送っていました。当時から、こうしたアメリカの桜は、100年前に、日本から贈られた桜であり、日米友好の象徴という話は聞いていました。日本とアメリカが戦争していた際にも、伐採されなかったことに驚きました。
ニューヨーク滞在から25年経ちます。私は高岡市長として、アメリカの桜を思い起こし、高峰譲吉博士を誇らしく思っています。
日本人排斥運動が起きていた1912年に東京市から3,000本の桜が贈られたのです。タカジアスターゼやアドレナリンを発明した高峰博士は、ニューヨークの日本倶楽部会長でもあり、アメリカに日本の桜を植えるプロジェクトを知り、資金面での支援を申し立てました。


そもそも、このプロジェクトを考案したのは、アメリカ人のエライザ・シドモアさんです。米国大使館に勤める兄に会うため、たびたび訪日し、桜に魅了。そして、ワシントンのポトマック川のほとりに桜を植えようと陳情していました。
当時の大統領夫人、ヘレン・タフトさんも桜の美しさに魅せられていました。そして、シドモアさんの計画の実現に向けて動き出します。

これに共感したのは高峰博士。当時の東京市の市長尾崎行雄もこの計画に賛同しました。
そして、はるばる日本から桜の木が船で運ばれたのです。
失敗もありました。最初に届いた2,000本は害虫が見つかり、焼却処分となりました。それから2年後、再び3,000本ずつ、ワシントンとニューヨークに運ばれたのです。
アメリカの桜は、100年以上にわたって、日米の友好の懸け橋となっています。それを実行したのが高岡生まれの高峰博士です。繰り返しますが、私は、市長として誇らしい気持ちです。






閉じる
更新日:2026年04月16日