Vol.18「阪神・淡路大震災31年」現場主義の大事さ
私は高岡市長に就任して、これまでの経験から、リーダーシップの在り方を考えています。
危機が起きた際、どのように対応すべきか。
さまざまな先輩たちから教えをいただいています。
大事なのは「現場主義」です。
1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生しました。
私は時事通信社松江支局の記者で長男が1歳の誕生日を迎えたばかりでした。家族3人で寝室にいましたが、大きな揺れを感じ、思わず長男を抱きかかえました。
自分の子供を守らなければいけない。
まずそう思いました。
そして、揺れが終わってから、テレビをつけて、ずっと見続けました。
当時の総理大臣は、村山富市さん。
当初、初動が遅かったと批判されました。
当時は自民、社会、さきかげの連立政権です。
村山さんは、危機管理にはまったく素人だったといいます。
ところがそれから状況は変化します。
3日後に、村山さんは、大事な人事を決めます。
小里貞利衆議院議員を兵庫県南部地震対策担当大臣に任命したのです。
小里さんは自民党で、県議会議員からのたたき上げです。一見、地味なイメージですが、「野武士」と言われていました。
そして、村山さんはこんな言葉を、小里さんに伝えています。
「現地に行って必要と考えたものはどんどんやってください。人事も予算も全部任せます。責任はすべて私が取ります」。
小里さんはその日の深夜に担当大臣として、現地入り。早朝から、ヘリコプターで視察しました。そして、兵庫県庁で、「即断即決、超法規で対応する」としました。「超法規」というのは、なかなか言えない言葉です。総理大臣がそのような方針だったからこそ、小里さんは、「超法規」の姿勢を貫いたのです。
倒壊した住宅を公費で解体したり、仮設住宅を建設したり、どんどん進めていきました。医療や避難民の心のケア、寒さなどこれまで想定していなかったさまざまな課題が出てきましたが、小里さんはこれまでのルールにとらわれず、前に進めました。
大事なのは、現場の声です。それを徹底的に集めて、必要な措置を実施したのです。さらに、現地で即断即決できるように、有力な官僚も現場に出向きました。現地に内閣があるようなものです。
村山さんは、自分が素人だからと素直に認め、現場に任せたのです。だからこそ、各省庁の官僚は、懸命に働いたそうです。さらに、危機管理のプロで、副総理も務めた後藤田正晴さんや、当時政界の実力者、元総理の竹下登さんも、村山さん、小里さんを支えました。
私は今回の能登半島地震を踏まえても、現場第一主義が大切だと思っています。被災者の救済や復興も、現場の声が最も効果的なのです。私はさまざまな先輩たちから、現場主義の大事さを学びました。市政運営においても、現場主義を貫きます。






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更新日:2026年01月20日