Vol.9 富山マラソン出場、「戦う武器」を磨く

更新日:2025年11月12日

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今年も富山マラソンに出場しました。滑り出しは好調でしたが、結局、5時間43分という結果でした。

35キロまで4時間台のペースで走っていたのですが、失速しました。残念ですが、実力なんですね。

反省して、来年に向けてまた、頑張ります。

42.195キロのマラソン。

「公務に支障がないように、無理しないでください。」

市民や市職員の方々に心配をおかけしましたが、一夜明けて大丈夫です。

翌日から公務をこなし、11月5日と6日には、陳情のため上京しました。

 

高岡市長は、富山マラソン実行委員会副会長。

最初の公務は8時40分、開会宣言をすることでした。

そして8時50分、車いすランナーの号砲を打ちました。

ちなみに、マラソン本体の号砲は、新田知事です。

その後、スタート台を降り、走り始めました。

今年は、市長就任後の初マラソンだけに、とりわけ多くの声援をいただきました。感謝しております。

高岡市内だけではありません。射水市に入っても、声援は途切れることはありません。

嬉しいですね。こうした声援を聞くと、やる気がみなぎり、ペースアップしました。それがいけませんでした。実力以上のスピードだったのです。

30キロを過ぎると、両足がつりました。最終的には、歩きました。最後の5キロほどは雨に打たれました。

今回のマラソンで改めて痛感しました。自分よりも速いペースで追い越す人もいれば、途中歩く人もいます。またある人は屈伸運動をします。速く走る人を羨んでもしょうがないですね。

人はそれぞれペースが違うのでは。それに晴れの日だけではない。今回のように雨に打たれることもあります。人間社会、そして人生の縮図のように感じました。

思えば、初めて参加したのは、2016年です。

私は当時、テレビ朝日報道局勤務。私自身にとって富山マラソンは大きな挑戦でした。

亡妻に、出場を宣言したのは、富山マラソンの半年前でした。

妻は「40キロなんて無謀よ。やめた方がいいよ」と反対しました。

それもその通りです。私は高校、大学とラグビーをやっていましたが、卒業後、あまりスポーツをせず、忙しい日々を送っていました。

(初参加した際の写真)

とりわけ、その当時、極度に不摂生な生活でした。

8年以上にもわたる「報道ステーション」では、ニュース全体の責任者でした。

番組終了後、深夜0時からの会食。喧々諤々の議論をして、2軒目に行けば、早朝帰宅となっていました。

時には当時、キャスターだった古舘伊知郎さんも交えての懇談でした。

その後、異動した早朝の番組「グッド!モーニング」。週に2回ほど徹夜の勤務をこなしました。

一睡もしない状態で、ニュース番組の陣頭指揮を執っていたのです。

しかも、仕事以外でも、作家としての個人的な仕事でフル稼働でした。

取材や原稿の執筆に追われたり、地方講演をしたり。本を執筆し、作家デビューしていたのです。

 

自分でもよくあれだけ仕事ができたなと思うぐらいハードな時間を過ごしていました。

一方で、体はたるみ切っていました。

そんな時、当時、親しくしていた幻冬舎社長の見城徹氏が私に強烈な言葉を投げつけたのです。

「孤独なトレーニングを終えたときには、肉体だけでなく精神までもが鋭く引き締まる。体がたるんでいる状態では仕事という戦場では戦えない。」

週に5回程度ジムで鍛え抜いている見城氏にとって、戦うための最大の武器は体だという主張です。

私はその話に妙に納得したのです。そうだ。体を鍛えぬくことこそが、仕事の一段の飛躍にもつながるのではないか。

 

2016年の富山マラソンに出場してから9年。

4時間台は一回だけです。

タイムは低調ですが、あまり気にしません。

年に1回、自分を戒める意味でも、マラソンを続けています。「戦う武器」を磨いて、来年以降も出場したいですね。