1854年(嘉永7) |
11月3日、高岡市御馬出町に生まれる。 |
1865年(慶応元) |
加賀藩から選抜され長崎で勉学、そこで英語を学ぶ。 |
1872年(明治5) |
上京し、工部省工学寮(のちの東大工学部)に入る。 |
1879年(明治12) |
工部大学校第1期卒業生となる。英国グラスゴー、アルデルソニアンの両大学に学ぶ。 |
1883年(明治16) |
帰国して農商務省工務局に入り、和紙の製造や清酒の醸造などの改良指導にあたる。 |
1884年(明治17) |
米国ニューオーリンズ万国博覧会が開催され、日本代表として派遣され1年間滞在。 |
1885年(明治18) |
高橋是清が欧米視察に出たために1年間、特許局長の職を代行。 |
1887年(明治20) |
渋沢栄一らと東京人造肥料会社を設立。再度渡米し、キャロライン・ヒッチと結婚。 |
1888年(明治21) |
帰国して東京・深川に新居を構え、二人の子供をもうける。 |
1890年(明治23) |
醸造法で特許を得、アメリカから招かれて妻子を連れて渡米。 |
1894年(明治27) |
タカジアスターゼの抽出に成功。特許を得て強力消化剤を発売。 |
1899年(明治32) |
工学博士号を受ける。日本でタカジアスターゼを発売。 |
1900年(明治33) |
アドレナリンの純粋結晶単離に成功。ホルモン学の基礎を確立。 |
1904年(明治37) |
セントルイス産業万国博覧会が開催される。松楓殿を日本政府から譲り受けてニューヨーク郊外に移す。 |
1905年(明治38) |
ニューヨークに日本倶楽部を設立。 |
1906年(明治39) |
薬学博士号を受ける。 |
1907年(明治40) |
黒木大将の訪米を機にジャパン・ソサエティー(日本協会)を設立。 |
1911年(明治44) |
東京市長から桜樹3000本をワシントン市へ寄贈するにあたり奔走する。 |
1912年(明治45) |
ニューヨーク市へ桜樹2100本を贈る。アドレナリンの発見の功績に対して学士院賞を授与される。 |
1917年(大正6) |
5年越しの努力で、官民合同の理化学研究所を設立。 |
1921年(大正10) |
ワシントン平和会議代表団を接待。 |
1922年(大正11) |
7月22日、67歳で逝去。ウッドローン墓地(ニューヨーク市)に埋葬。 |
更新日:2024年03月25日