高峰譲吉博士の略年譜

更新日:2024年03月25日

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高峰譲吉博士の略年譜の詳細
年代 内容
1854年(嘉永7) 11月3日、高岡市御馬出町に生まれる。
1865年(慶応元) 加賀藩から選抜され長崎で勉学、そこで英語を学ぶ。
1872年(明治5) 上京し、工部省工学寮(のちの東大工学部)に入る。
1879年(明治12) 工部大学校第1期卒業生となる。英国グラスゴー、アルデルソニアンの両大学に学ぶ。
1883年(明治16) 帰国して農商務省工務局に入り、和紙の製造や清酒の醸造などの改良指導にあたる。
1884年(明治17) 米国ニューオーリンズ万国博覧会が開催され、日本代表として派遣され1年間滞在。
1885年(明治18) 高橋是清が欧米視察に出たために1年間、特許局長の職を代行。
1887年(明治20) 渋沢栄一らと東京人造肥料会社を設立。再度渡米し、キャロライン・ヒッチと結婚。
1888年(明治21) 帰国して東京・深川に新居を構え、二人の子供をもうける。
1890年(明治23) 醸造法で特許を得、アメリカから招かれて妻子を連れて渡米。
1894年(明治27) タカジアスターゼの抽出に成功。特許を得て強力消化剤を発売。
1899年(明治32) 工学博士号を受ける。日本でタカジアスターゼを発売。
1900年(明治33) アドレナリンの純粋結晶単離に成功。ホルモン学の基礎を確立。
1904年(明治37) セントルイス産業万国博覧会が開催される。松楓殿を日本政府から譲り受けてニューヨーク郊外に移す。
1905年(明治38) ニューヨークに日本倶楽部を設立。
1906年(明治39) 薬学博士号を受ける。
1907年(明治40) 黒木大将の訪米を機にジャパン・ソサエティー(日本協会)を設立。
1911年(明治44) 東京市長から桜樹3000本をワシントン市へ寄贈するにあたり奔走する。
1912年(明治45) ニューヨーク市へ桜樹2100本を贈る。アドレナリンの発見の功績に対して学士院賞を授与される。
1917年(大正6) 5年越しの努力で、官民合同の理化学研究所を設立。
1921年(大正10) ワシントン平和会議代表団を接待。
1922年(大正11) 7月22日、67歳で逝去。ウッドローン墓地(ニューヨーク市)に埋葬。

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