高岡城跡
平成27年3月10日、「高岡城跡」が国史跡に指定されました。
文化財の概要
(1)名称
高岡城跡(たかおかじょうあと)
(2)所在地
高岡市古城9番1外
(3)指定の理由
本丸の周囲に馬出郭を配する防御制の高い特徴的な縄張をもち、全国的にみても堀が埋められず郭の形が約400年間保存されていることは非常に珍しい。また、発掘調査によって、本丸御殿に関わる礎石や石組み遺構を検出する等、遺構が良好に遺存していることが確認された。近世初頭の政治・軍事状況や築城技術を知る上で貴重である。
高岡城跡の概要
高岡城跡は、慶長14年(1609年)に加賀前田家二代・前田利長の隠居城として築城された城跡である。慶長19年(1614年)の利長の死後間もなく一国一城令によって廃城となったが、城下町を商工の町に転換する再興政策などにより、城の実質的価値である堀や土塁が良好に保存されてきた。また、明治期の民間払い下げの危機には、高岡市民の公園指定運動などにより、明治8年に「高岡公園」として指定を受け、城郭遺構の破壊を免れた。その結果、約400年経過した現在でも往時における高岡城の姿の多くをとどめており、「高岡古城公園」として親しまれている。高岡城跡詳細調査により、歴史的価値について高まったところである。このように、高岡城跡は加賀前田家二代当主前田利長に関連する、国宝瑞龍寺、国史跡の加賀藩主前田家墓所(前田利長墓所)などと同様に、「近世高岡の文化遺産群」を代表する高岡市にとってきわめて重要な前田家関連遺跡の一つである。
指定の意義
- 「近世高岡の文化遺産群」の構成資産の一つである「高岡城跡」が、国指定文化財となることにより、世界文化遺産登録に向けて資産内容が充実する。
- 高岡城跡が全国に知られることにより、高岡市の歴史と文化に理解が深まり、また県内外からの来訪者の増加による地域の活性化につながる。
その他
高岡市内の国指定史跡は「桜谷古墳」、「加賀藩主前田家墓所(前田利長墓所)」に続き3件目となる。

空中写真

全景写真

内堀

堀と石垣

本丸礎石検出状況
更新日:2024年03月25日