桜谷古墳
文化財の概要
- 名称
桜谷古墳(さくらだにこふん) - 所在地
高岡市太田字桜谷 - 指定日
昭和9年(1934年)12月28日
発見の経緯と指定の経過
大正7年(1918)9月、開墾のため、元諏訪社の神木であった老松の根株を掘り下げた際、地下90.9センチメートルのところから内行花文鏡1面と碧玉製の管玉13個が発見された。この発見を契機に、大正8〜13年(1919〜24)までの5年間で、富山県史蹟名勝天然記念物調査会による学術調査が実施された。調査の中で、大正10年(1921)に3号墳から金環、ガラス小玉、刀剣、人骨が出土した。大正12年(1923)に2号墳から石釧(石の腕輪)、紡錘車形石製品(糸つむぎの道具)、管玉が出土した。大正13年(1924)に8号墳が発見され、石室内から提瓶、ハソウ、刀身、装具、金環、人骨が出土した。これらの調査結果によって、1号墳・2号墳は「桜谷古墳」として、昭和9年(1934)に国史跡に指定された。

桜谷古墳の概要
桜谷古墳群は、二上丘陵北側の標高20メートル前後の台地上に立地し、東西約300メートル、南北約150メートルの範囲に計13基以上の古墳で構成されている。
1号墳は全長62メートルあり、4世紀初頭(300年頃)の築造と考えられている。昭和51〜2(1976〜7)、県道バイパス(現国道415号線)工事に伴う発掘調査によって、1号墳の周溝が発見され、前方後方墳の可能性が高まった。また、1号墳の周溝の南側で検出された箱式石棺からは鉄鉾が出土している。2号墳は全長50メートルあり、帆立貝式の前方後円墳で4世紀中頃(350年頃)の築造と考えられている。

桜谷古墳 空中写真 (手前が1号墳、奥が2号墳)
桜谷古墳の埋葬者
桜谷古墳の埋葬者は、海を見渡せる立地と、出土する鉄鉾等が、畿内との関係を示していることから、日本海を舞台に海上交易で活躍した海人集団の王者の墓と考えられている。近年の調査研究では、7号墳から出土した金銅製方形板が、6世紀前半(550年頃まで)に副葬された倭国産帽冠飾であることが判明した。倭国産の方形帽冠飾は珍しく、百済王家から思想的影響を受けた可能性も指摘されていることから、海人集団は、海を通じて広域的な活動をしていたと考えられる。
出土品
昭和37年(1962)3月30日高岡市指定考古資料
桜谷古墳付近から、大正7年(1918)に古墳群発見の契機になった、内行花文鏡1面と管玉13個が出土されて以来、数度にわたり貴重な遺物が発見され、代表的なもの6種28点が指定されている。

高岡市指定文化財 桜谷古墳付近出土品
更新日:2024年03月25日