Vol.29 浮世絵を世界に紹介 林忠正の像が高岡市に

更新日:2026年04月14日

ページID : 13791

高岡出身の美術商、林忠正の銅像が高岡市立美術館にお目見えしました。林忠正は、幕末生まれ。フランスにわたり、日本の浮世絵を紹介。一時は浮世絵を国外流出させた「国賊」とも言われましたが、今では再評価されています。ゴッホやモネに大きな影響を与え、ジャポニズムの隆盛の原動力となった美術商です。

 

今年は、林忠正没後120周年です。市内の鋳物関係者らが制作委員会をつくり、クラウドファンディング(CF)で資金を集め、制作しました。

先日、除幕式が行われ、ひ孫にあたる、日本女子大名誉教授の高頭麻子さんも参加しました。

高頭さんによれば、林忠正は1886年に、高岡銅器の職人から、海外へ輸出できないかと相談を受けました。そして、三日三晩寝ずに、助言の手紙を書きました。

高頭さんは「林忠正は、高岡のことを忘れなかった。銅像となって高岡に戻ることができて喜んでいるだろう」と話しました。

林忠正といっても、多くの日本人は、知らないでしょう。私は林忠正の功績を後世に伝えることは大事だと思っています。

 

1878年にパリで万博が開催されましたが、林忠正は通訳としてパリに住み始めます。この万博では、日本の美術品や工芸品が注目されました。当時日本では、浮世絵は、絵画的な評価は高くありませんでした。

このような状況下で、ヨーロッパに大量の浮世絵を送りました。その数、約15万枚といわれています。また、浮世絵に押された印は、林忠正が鑑定になったことを示し、それはまさに本物のお墨付きと同じことを意味しました。

 

そして、ヨーロッパの収集家が、葛飾北斎や歌麿らの作品を大事に保護したのです。林忠正をめぐっては、浮世絵を大量に売りさばいた「国賊」というイメージは大きくチェンジしているのです。

 

林忠正はクロード・モネやエドガー・ドガなどの画家とも交流がありました。ゴッホは自ら大量の浮世絵を収集するほどの浮世絵マニアでした。作風も大きな影響を受けました。フランスを中心とした欧米で、日本美術ブームが起きたのです。いわば「ジャポニズム」です。

この「ジャポニズム」の支えとなったのは、林忠正なのです。我々は改めてその功績を伝えていくべきですね。今年の7月から、高岡市立博物館で「林忠正書簡展」を開催します。高岡の偉人・林忠正のことを多くの方に知っていただきたいと思います。