Vol.17 久米さんに学ぶ「話しやすい雰囲気」

更新日:2026年01月19日

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ニュースキャスターの久米宏さん死去のニュースを見ていて、その存在の大きさに思いを馳せています。私はテレビ朝日に勤務していた際、久米さんの隣でニュース解説をさせていただいたことがありますが、話しやすい雰囲気を作り出す天才でした。久米さんから人の話を聞く姿勢を学ばせていただきました。ありがとうございます。

私は2001年7月にテレビ朝日に転職しました。時事通信から転職したのです。テレビ朝日での配属先は経済部でした。新聞用の原稿を書いていた記者がテレビ用の原稿を書くことになったのです。
小泉内閣の時で、私が担当していたのは、経済財政諮問会議。経済財政政策担当大臣は、竹中平蔵氏です。当時は「構造改革」という言葉が飛び交って、経済ニュースが次第に注目されるようになりました。

私はまた、経済デスクとして、テレビ朝日全体の経済ニュースの陣頭指揮を執っていたのです。そのため、時に触れて、スタッフルームで久米さんに経済ニュースを説明していました。久米さんは熱心に私の話を聞いていました。第一印象は、人の話をよく聞く人だなと思いました。
そんなある日、突然、番組のスタッフから、スタジオに出演して欲しいとの要請があったのです。

私は転職組で根っから「活字」記者だったのです。テレビ記者としてしゃべり慣れていません。原稿を棒読みするタイプでした。時折、テレビでリポートしていましたが、社内外で、ダメだしを食らっていました。亡き妻は元アナウンサー。いつも私を指導してくれましたが、なかなかうまくなりません。「あなたは、テレビでしゃべるの向いていないかもしれない」。

そんな私がニュースステーションに生出演の依頼があったのです。ニュースステーションといえば、視聴率の高い報道番組です。うまくしゃべれるのか、心配でした。

本番です。ニュースステーションは明るいスタジオです。ブーメランの長いテーブル。どきどきしながら、久米さんの隣に座りました。
「経済部の出町譲デスクです」と、久米さんが紹介してくれました。
5分ほどのスタジオ解説。久米さんのじっと私の話を聞く姿勢につられて、私は自然に口を開きました。家で普段しゃべっているのと、同じ感じだったのです。テレビ出演の苦手意識がなくなったのです。
家に帰って妻は「本当に上手だったわよ。口下手なあなたをこれだけ話させる。久米さんは天才だわ」と喜んでいました。それ以降、スタジオ解説はスムーズにいきました。

久米さんは、周囲の人の緊張を解きほぐす天才でした。だから、政治家も本音をしゃべったのでしょう。

私は今、市長となっています。市民の方々の本音を聞きだすのが大事だと思っています。まちかどトークで、高岡市内36地区を回り、住民の皆さまの声を聞いています。
久米さんは2004年3月にニュースステーションを降板しました。わずかな期間仕事をしただけですが、感謝しております。