Vol.4 古城公園150年で先人に感謝

更新日:2025年09月04日

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今年は高岡古城公園創設から150周年の記念すべき年です。この際、私は古城公園の創設者、服部嘉十郎(はっとり かじゅうろう)さんについてもっと市民の方々に知ってもらいたいと思って、9月定例会で服部さんについて言及しました。古城公園の危機を救った人物なのです。

服部さんは、現在でいえば高岡市長に当たる第17大区区長でした。服部さんが城址保存のため、公園指定の請願運動に動かなければ、古城公園の地は民間に払い下げられ、開墾地となっていました。当時、金沢藩が、城跡を飢饉対策で開墾地として民間に払い下げることを決定していたからです。

服部さんの頌徳碑(しょうとくひ)※は、中の島にあります。その銘板(めいばん)は老朽化により、印字が読みにくくなっています。先人を顕彰する意味合いもあり、修繕作業を行っていきます。

 

歴史を学ぶことは、大事です。高岡城はそもそも、1609年に築城されました。加賀前田家二代当主の前田利長がつくったのです。ところが、その6年後の1615年、徳川幕府は一国一城令を出し、廃城となりました。武士や町民が高岡を離れ、町は急速にさびれました。

この危機を救ったのは、加賀前田家三代当主前田利常です。城下町から町民の転出を禁止しました。越中の米の流通の統制、価格の調整を行う「米場」や麻布の集散地とするための「布御印押人(ぬのごいんおしにん)」等を設置し、高岡を経済流通の拠点とすることで城下町から商工業のまちへとチェンジさせたのです。町民の努力もあり、高岡は「加賀藩の台所」と言われるほどの経済都市へと発展しました。

服部嘉十郎、前田利長、利常。古城公園の歴史を彩る先人たち。ぜひとも、高岡市民に関心を持ってほしいですね。

 

※頌徳碑…偉人や先覚者などの徳をほめたたえる文章を刻んだ碑