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更新日:2020年3月4日

高峰譲吉博士の偉業

タカジアスターゼ・アドレナリンの誕生

少年期より長崎・京都・大阪などで学んだ高峰博士は当初医学を志しますが、15歳のころに化学分析学を学んだことを機に化学の道に進むことを決意します。

1879年(明治12)、工部省工部大学校(現・東京大学工学部)を卒業後、3年間のイギリス留学を経て、1884年(明治17)にはアメリカのニューオーリンズ市万国博覧会事務官として渡米、肥料等に活かされている化学の有用性を強く認識しました。帰国後着手した人造肥料や日本酒改良の研究は着実に成果をあげ、のちに東京人造肥料会社設立や高峰式醸造法の特許取得に結びつきました。

高峰式醸造法の製造過程で「麹カビ」の研究を行い、酵素ジアスターゼの抽出に成功した高峰博士は、1894年(明治27)この製造法の特許を取得。「タカジアスターゼ」と命名された強力消化酵素は、世界の医学界、薬学界における画期的な偉業と称賛され各国で製品化されました。

続いて「ホルモン」の解明に取り組んだ博士は、1900年(明治33)に牛の副腎からホルモンを分離し結晶化することに成功。世界初の結晶化ホルモン「アドレナリン」が誕生しました。アドレナリンは、外科手術の止血剤として世界で初めて完成されたもので、患者の生存率を大幅に向上させ、医学界からもノーベル賞級と絶賛されました。

国際親善に尽くした晩年

親密な日米関係を願った高峰博士は、セントルイスで開催された万国博覧会に出展された日本館のメインパビリオン「鳳凰殿」を譲り受け、「松楓殿」と名前をかえて日米政財界や学会のトップが集う交流舞台として活用しました。

さらに1905年(明治38)にニューヨークに日本倶楽部(現在の日本クラブ)、1907年(明治40)にはジャパン・ソサエティー(現在の日本協会)をニューヨークに設立し日米間の親善に尽くしました。また、日本人の心の象徴ともいえる美しい桜を日本からワシントン市に寄贈する際の仲介を行うとともに、自らもニューヨークへ桜を寄贈するなど桜の大使として称賛されました。

生まれ故郷 高岡への提案

先見の明がある高峰博士は、生まれ故郷である高岡に次のような提案もしています。

「急流河川の多い富山県は、電源開発に最適の地である。発電所をつくって、この電気を高岡や伏木方面に送って、アルミニウムの製造を行ったらどうだろうか。そうすれば、伝統的な鋳物(青銅やアルミニウムなど金属を溶かし、鋳型に流し込んでつくった器物)の技術も生きるはずである。」(1918年(大正7)5月、『高岡新報』より要約)

彼の提案は、その後生かされ、高岡市はわが国のアルミニウム産業の一大中心地となりました。

無冠の大使 高峰譲吉

高峰博士は、偉大な化学者であるとともに、その語学力と行動力で企業を動かし、その発明、発見を製品化した事業家でした。また日本を愛し、アメリカを愛し、事業で得た利益の多くを日米親善のために役立てた「無冠の大使」ともいえるスケールの大きな人物でした。

博士の日米親善活動のあかしである桜並木は遠く離れたアメリカで今も花を咲かせており、現地の人々にとって心の安らぎの場となっています。

1922年(大正11)、68歳でなくなった博士は、日米両国の友好を願い、ニューヨーク市にあるウッドローン墓地に静かに眠っています。

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