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更新日:2021年9月14日

高岡御車山

 高岡御車山祭

  • 重要有形民俗文化財指定昭和35年6月9日
  • 重要無形民俗文化財指定昭和54年2月3日

高岡御車山の勢揃い

 高岡御車山の由来 

高岡御車山は、慶長14年(1609)に加賀前田家2代当主前田利長が高岡に城を築き町を開いた折、城下の町内の大町に与えたもので、祭礼の山車として奉曳したのが始まりと言われています。
伝承では、豊臣秀吉が京都の聚楽第に後陽成天皇と正親町上皇の行幸を仰いだ際に使用した鳳輦の車を、初代利家に下賜し、それが利長に伝わり、高岡町民に与え、改装させたものとされています。
このような由緒を証明するものは、ほとんど残っていません。関野神社所蔵の2点の高岡市指定古文書が、前田利長公と御車山との繋がりを証明する唯一の資料と言えます。

高岡御車山の形姿

高岡御車山は全部で7基あり、二番町の御車山の車輪が二輪であることを除けば酷似した形式です。御車山を構造的に見ると、「地山」と「飾り山」に区分することができます。

 「地山」には、二重または三重台八車の4枚の車輪があります。二番町だけは四重台八の大型二輪車です。この車輪は欅製の車軸でつながれ、車軸には轅(ながえ)が取り付けられ、これにて曳き回す構造となっています。轅は早蕨の形をしているので、「わらびて」ともいいます。轅の上に草槙製の地山箱が載ります。囃子(はやし)方はこの方形の屋台の中に入って囃子を演奏します。地山箱の周囲には幔幕(まんまく)が張りめぐらされ、幔幕を押さえるための幕押があり、さらにその上に布裏、長押(なげし)が取り付けられています。
 「飾り山」の部分では、地山の上に心柱が立てられ、心柱は柱巻(吹貫)で覆われています。柱の中間に錦織の護符袋が下げられ、中には神名を記した護符が密封されています。
柱の上部には竹製の籠が取り付けられ、籠を覆うように菊の花が放射線状に垂れ下り、花傘を構成しています。その上に小さく上向きに花の小枝を挿してあるものもあります。最上部には鉾留があります。鉾留は町内によってさまざまの形をしています。
地山の上は周囲に高欄が取り付けられ、背後に後屏を有するものもあります。屋台の中心には本座と称される大型の人形が安置されています。前面には相座として唐子や猿の人形が置かれています。屋台後尾には町名を記した標旗が立てられています。山車には固有の名称がなく、町名をもって山車の称号となっています。後ろには桜の送り花が挿されています。
このような飾り山部分の構成を民俗学的な見地より観察すると、非常に興味をそそられるものがあります。中央にそびえる心柱はその祭壇に飾られた花々、または籠はその花を入れる竹籠であり、鉾留は竹籠の編みっぱなしのヒゲコの装飾化したもの、そして人形は神の形代です。
古代信仰では、神は天上にあり、祭りに際して降臨を願うものとされていました。今のような常設の社殿はないため、臨時に祭壇を作り、それを依代として高いところから降りてきたのです。そして、1年の豊饒を祈る祭礼が終わると、神はただちに帰っていきました。
御車山には、このような日本古来の神迎えの要素が備わっており、御車山の曳き回しは、降臨した神々の巡行を表現しているわけです。各部ともかなり装飾されていますが、古代信仰の形式を今に伝える点が高く評価されています。

 

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