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利長くん時をこえ 心をつなぐ 高岡開町400年


(33)利長を旅する(一六一二〜一六一三)

瑞龍寺(もとは、法円寺)
瑞龍寺(もとは、法円寺)

慶長16年(1611)2月、高岡城に在(あ)って50歳となった利長が前年来の病気を再発し、5月には利常に手紙を送って、自分が死んだ後の心得などを諭(さと)しました。この事態に対し、まだ19歳の利常はあちこちの寺院や神社に、利長の病気が平癒(へいゆ)するよう祈願しています。

この年、本多政重(ほんだまさしげ)が帰参(きさん)。3万石の知行(ちぎょう)地は、加越能の100カ所以上に及びます。

また利長は、養老領10万石と家臣数十人を、本藩へ返還しました(翌17年とも)。

12月には新川郡で亀谷(かめがい)銀山(旧・大山町)が開かれます。

慶長17年(1612)4月、この亀谷銀山から産出した銀1000枚と絹などを51歳の利長は、徳川家康と秀忠とにそれぞれ贈呈しています。

慶長18年(1613)正月、52歳になった利長の病が益々(ますます)重くなって、今度は、家康と秀忠に刀を献上しています。

ところがその春、これまで前田家の領地として扱われてきた越中「新川郡」を、幕府に返上させようとする幕論が討議されていました。これを耳にした利長は、本多政重を江戸の幕府と駿府(すんぷ)の家康の許に送り込みます。政重は奔走すること7度に及び、ついに従前(じゅうぜん)の如く前田120万石が安堵(あんど)されたのです。この功で政重は2万石を加増されます。

3月には「大馬出町・小馬出町・一番町・二番町・通町よりも車曳山(ひきやま)献上して都合七ツと成(な)」り、高岡城の大手門より曳き揚(あ)げたら利長が大層悦(よろこ)んだ、と記録されています。

冬、徳川と豊臣との対立が深まり、豊臣秀頼(ひでより)からの使者と会見しますが、利長は誘いを断っています。またこの年、広山恕陽(こうざんじょよう)が利長に招かれて、高岡に法円寺(ほうえんじ)(のちに瑞龍寺となる)を創建しています。

(高岡市児童文化協会 副会長・樽谷雅好)

たかおか市民と市政
2009年10月号 No.48
平成21年10月1日発行

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