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ホーム > 観光・文化・スポーツ > 観光 > 「国宝高岡山瑞龍寺」青銅鋳造模型について

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更新日:2017年12月4日

「国宝高岡山瑞龍寺」青銅鋳造模型について

平成29年11月17日、北陸新幹線新高岡駅南北自由通路に、「国宝高岡山瑞龍寺」(実物の100分の1サイズ)の青銅鋳造模型が設置されました。

高岡銅器の技術を発揮して製作された建造物に加え、周辺の植栽や山門にいたる玉砂利等もジオラマとして細部まで忠実に再現されています。

「ものづくりのまち高岡」の新たな観光スポットにぜひ足をお運びください。

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名称:「国宝高岡山瑞龍寺」青銅鋳造模型(縮尺1/100)

設置場所:北陸新幹線新高岡駅南北自由通路

 

瑞龍寺について

加賀前田家初代当主前田利家は、越前府中の大名であった頃より、府中城の近くにある宝円寺の禅僧・大透圭徐に深く帰依し、その後七尾〜金沢と城を替わる度に城下に宝円寺(後に法円寺と改称)と名する寺を建ててきました。
二代当主利長は、慶長10年(1605)に家督を30歳以上年下の異母弟・利常に譲り、44歳の若さで隠居します。晩年金沢から富山に移転した際、利家に倣って富山城近くに法円寺を建立しましたが、富山城の炎上を機に高岡に移ることとなり、高岡城を築いた際、高岡に法円寺を招きました。これが瑞龍寺の前身です。ここで利家の法要や織田信長・信忠の追善供養が行われました。
慶長19年(1614)に利長が没し、高岡の法円寺で葬儀が執り行われると、利長の菩提寺とされ、寺号を利長の戒名瑞龍院殿聖山栄賢大居士に因んで瑞龍院に改め、後に瑞龍寺に改称されました。
その後、若くして加賀百二十万石を譲られた義弟・三代当主利常は、深くその恩を感じ、利長の大供養のために大伽藍を建立することを決意し、瑞龍院の大改築に着手します。加賀藩の名工・山上善右衛門嘉広が棟梁となり、正保年間から利長の五十回忌にあたる寛文3年(1663)までの約二十年の歳月を要して完成しました。総門、山門、仏殿、法堂を一直線に並べ、左右に回廊を廻らせて諸堂を左右対称に置く七堂伽藍の配置は、中国の径山万寿寺に倣ったものといわれます。この配置を人(仏)の身体に例えたのが、禅宗七堂伽藍人体表相図です。当時は城郭のように周囲に壕が廻らされていました。
延享3年(1746)の火災で伽藍の前半分が焼失し、その後再建。江戸時代を通して加賀藩の庇護を受けましたが、明治時代には廃藩置県により前田家の手が離れたため困窮し、当時存在していた七間浄頭と浴室は、部材を売るために解体されました。(現在も再建されていませんが、今回の復元模型には含まれています)
瑞龍寺は、江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価され、1985年から大規模な修復が10年かけて行われ、1997年には山門、仏殿、法堂が国宝に指定されました。重要文化財には総門、禅堂、大庫裏、大茶堂、高廊下、北回廊、南東回廊、南西回廊が指定されています。

 

高岡銅器について

慶長14年(1609)加賀前田家二代当主前田利長公が高岡城に入城し高岡の町を開きました。そして城下の繁栄を図る産業政策の一環として、慶長16年(1611)に西部金屋(現在の高岡市戸出西部金屋)から、河内丹南の流れを汲む7人の鋳物師(いもじ)を呼び寄せ、現在の金屋町に鋳物場を開設させたことが高岡銅器の始まりです。
当初鋳物師たちは鍋・釜といった日用の鉄器を鋳造していましたが、やがて青銅や黄銅をはじめ多様な金属の鋳造をするようになりました。慶長20年(1615)の一国一城令により、高岡城はわずか6年で廃城となりますが、三代当主利常は高岡の町を残すため商工都市への変換を図ります。その政策の中で鋳物師たちも保護され、高岡の町の繁栄とともに高岡銅器も発展していきました。
明治時代(1800年代後半)に入ると、廃刀令で職を無くした職人(金工師)が銅器産業に参入し、製作の中心が日用品から美術工芸品へ移行していきました。彩りよく精緻な細工が施された高岡銅器は、その当時の世界各国の万国博覧会に出品され、多くの賞を受賞したことにより、美術品としての名声を高めていきました。
しかし太平洋戦争に入ると、地金の銅・鉄の不足から高岡銅器業界は壊滅状態となり、鋳物職人達は、軍需工場でアルミニウムの部品を作っていました。この技術がその後、高岡でのアルミ製鍋・釜の生産に繋がり、富山県におけるアルミニウム工業の発展の契機となっています。戦後、昭和20年代後半にようやく銅器の生産が再開し、日本経済の発展にともない、銅器の需要も増えていきました。
そして長い時間を経て受け継がれた技術と精神に裏付けされた高岡銅器は昭和50年(1975)「国指定伝統的工芸品」の第一次指定を、昭和54年(1979)には「特定産業の産地」指定を受けました。また、昭和51年(1976)から戸出に高岡銅器団地の建設が始まり、多くの銅器メーカーが金屋町から銅器団地に移転しました。
現在、美術工芸品における銅合金製鋳物では日本国内シェア90%を誇るまでに発展し、その品目は茶道具や花器から置物、銅像・胸像、モニュメント、仏具・梵鐘にいたるまで幅広く展開されています。

この国宝高岡山瑞龍寺の百分の一の模型は、高岡銅器の精緻を極めた技術により青銅で製作されたものです。

 

 

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お問い合わせ

産業振興部観光交流課

富山県高岡市広小路7-50

電話番号:0766-20-1301

ファックス:0766-20-1496