

【面積】209.38km2(東西約24.5km、南北約19.2km)
【人口】181.229人(平成17年度国勢調査)
【世帯】60,426世帯(平成17年度国勢調査)
高岡市は、富山県の北西部に位置する。西には二上山、西山丘陵が連なり、四季折々の色合いを見せている。豊かな穀倉地帯を育んで流れる庄川・小矢部川が市内を貫流し、庄川扇状地の北端にあたる市街地の南部は良質の地下水
が自噴している。北は富山湾に面し、雨晴海岸からは海越しに3000メートル級の立山連峰の大パノラマを見ることができる。
雨晴海岸

南北の交通軸に東海北陸自動車道と能越自動車道の整備が進められていること、東西の新しい交通軸に平成26年度末までには北陸新幹線が開業することなど、飛越能地域の交通の要衝として着々と都市整備が進められている。
環日本海へ向け恵まれた立地を人・物・情報の交流に活かしながら、高岡開町400年(2009年)に結集された市民のエネルギーを新しいまちづくりの原動力として、「元気なふるさと高岡」の創造を進めている。

高岡銅器や高岡漆器など、藩政期以来の長い歴史の中で受け継がれてきた「ものづくりの技」が脈々と息づいており、この伝統の鋳物技術をもとに発展したアルミニウム産業によって日本海側有数の産業都市となっている。
近年では、伝統産業を継承するクラフト産業の育成を目指し、デザイン開発の支援、人材育成を進めており、国内外から出品される「工芸都市高岡クラフトコンペ、クラフト展」が開催されているほか、菅笠づくりや養鯉などの地場産業もある。

歴史
高岡城跡(高岡古城公園)
二上山麓から西山丘陵にかけて、桜谷古墳や沿道横穴古墳など多くの古墳があり、県内でも早い時期から地方政権が成立していたとされている。古代には伏木の台地に越中国府が置かれ、この地方の政治経済の中心地として栄えた。越中国守として赴任した歌人大伴家持は天平18年(746)から5年間在任し、この地の自然などを詠んだ220首余りの秀歌を残している。中世の木舟城跡や守山城跡も残っている。
現在の市街地は、慶長14年(1609)、加賀藩二代藩主・前田利長公の築城に伴って開かれた。このとき、「詩経」の一節「鳳凰鳴けり彼の高き岡に」から「高岡」と名付けられた。
文化財
国宝 瑞龍寺
古代以来の神社(氣多神社、射水神社)、中・近世以来の大寺院(国泰寺、勝興寺、瑞龍寺)がある。なかでも、瑞龍寺は加賀藩二代藩主で高岡の開祖・利長公の菩提寺で、壮大な伽藍配置様式の禅宗寺院であり、平成9年(1997)山門、仏殿、法堂が国宝の指定を受けた。
他に、16世紀桃山時代の華麗な様式と高岡の伝統工芸の粋を集めた、重要有形無形民俗文化財・高岡御車山祭がある。また、御車山を持つ山町は、土蔵造りの町並み(山町筋)として、平成12年(2000)、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

わたくしたちのまち高岡は、美しく豊かな自然に恵まれた越中文化発祥の地であり、先人の知恵と努力により、文物交流の中心地としてめざましい発展をとげてきました。とりわけ、芸術と産業を結びつけるものづくりの伝統は、高岡文化の大きな特色です。
わたくしたちは、このような伝統の上に立って、現代社会の課題に挑戦し、新たな時代を拓く活力に満ちたまちづくりを進めていきます。
そのような願いをこめて、この市民憲章を定めます。
| 〔水とみどり〕 |
ふるさとの自然を愛し 美しい心を育てます |
| 〔伝統と創造〕 |
先人の知恵に学び すぐれた文化を創ります |
| 〔技と生きがい〕 |
技を磨き工夫をこらし 広く人々に尽くします |
| 〔共生と活力〕 |
ふれあいのきずなを深め 生き生きしたまちをつくります |
市民憲章についての詳しい情報はこちらをご覧ください。

| 【デザイン】 |
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【意味】
高岡市の「高」の文字をモチーフに、水や緑と人の姿を重ね、
自然と人の光り輝くまちをデザイン化したものである。
いきいきとした人の姿で、市の活気や躍動を表現している。 |

名誉市民についての情報はこちらをご覧ください。

| ミランドポリス市〔ブラジル連邦共和国サンパウロ州〕 |
姉妹都市提携 |
昭和49年(1974)10月19日 |
| フォートウェーン市〔アメリカ合衆国インディアナ州〕 |
姉妹都市提携 |
昭和52年(1977)4月8日 |
| 錦州市〔中華人民共和国遼寧省〕 |
友好都市提携 |
昭和60年(1985)8月10日 |
姉妹・友好都市についての詳しい情報はこちらをご覧ください。

| 【花】かたかご(カタクリ) |
【木】つまま(タブノキ) |
【花木】さくら(サクラ属) |
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高岡古城公園 |
岸渡川 |